ワーキングマザー徒然

子育てと仕事にドタバタのワーキングマザーの日々、両立のための工夫や外資系の事情など。

業績評価。納得したつもりだったけど段々イラっとしてきました。

5歳娘、生後2ヶ月息子を育てる育休中のminaです。

木曜日に久しぶりに上司から連絡がありました。今年の給料の話。私が勤める会社では毎年4月に給与改定があります。部下を持つ人は4月の給料日より前に本人に告知をするルールになっています。それでギリギリのタイミングで連絡がきたということです。

メールに添付された通知書をあけてみると…
あれ?
なんか減ってる??
これはどゆこと???

外資系の当社の給与体系は、ベース+業績連動ボーナスという設計になっており、ベース部分は毎年大きな変動はありませんが、ボーナス部分は百万単位で上がったり下がったりします(正確に言うと今年ではなく翌年以降の年収がボーナスによって変わります)。

今回はそのボーナス部分が百万単位で減りました。百万円、じゃなくて百万単位、ですからね。。相当なインパクトです。

原因が分からなかったのでメールで上司に問い合わせました。ボーナスがすごく減っているのはなぜでしょうか?と。ザ・ストレート。その辺りは単刀直入に聞いても問題ない関係性のため。。

返信されたメールの内容を要約すると、
「前年よりも評価が下がったから」
だそうです。上中下の三段階だとしたら、前年は「上」だったのが「中」に下がりました。私も管理職なので業績評価によってボーナスの額が変わるということは知識としては知っていました。ただ、8年間勤務しているとは言え、育休取ったり、時短勤務したり、昇進したり、で割と変動が多かったので、業績評価によるストレートな給料の変動を自分ごととして理解できてなかったんですよね。結構ずしーんときますね。評価そのものも、それによるお給料の減額も。こんなに減るんだぁ…。最近平和ボケしてましたが久しぶりに外資系のしびれる感じを思い出させてくれましたよ。

そもそもクビにならないかビクビクしてるくらいなんだから「中」でも十分だし、減額したとはいえサラリーウーマンとして十分にもらってるといえるよね…前年に「上」の評価がついたこと自体が奇跡だったのでは…と弱気(謙虚)な自分が登場して納得させようとしてきました。

そして次に、うーん、これは、なかなか難しいなあと考え込んでしまいました。「2018年振り返り」の記事でも書いたのですが、昨年は、私としては「やり切った」感のあった年でした。正直、これが「上」として評価されないのであれば、これ以上何をどうやったらいいかが分かりません。ネタ切れです。つまり、今のポジションにいる限り、評価は良くて「中」、下手すれば「下」ということ。別に中でもいいのですが、成長が止まると死が待ってる(怖い)ので、ネタ切れとなると中を維持できるか自体が怪しいです。
復帰先は悩みのタネではあるのですが、仮に今のポジションで空きがあったとしても自分で復帰先のポジションを探した方が良さそうです。元々妊娠してなかったら異動を考えていたこともあるし。異動する場合、社内だけどフツーに職務経歴書出して面接も受けて受からなければなりません。はー面倒だなぁ…。就職活動って苦手なんですよね。幼子を抱えてそれをやるの?できるの?

その次に沸いた感情が。
上司、ちゃんと説明しろや。
です。あ、言葉遣いが…。ぺろっと一枚給料の紙を送るだけじゃなくってさ、評価が下がったなら、しっかり原因とか今後のキャリアデベロップメントの方向性に対するアドバイスとか、そういうのして欲しいです。私の上司はその辺は割とちゃんとしていて、面談でもきちんと説明してくれるタイプでした。
ですが、育休社員に対しては扱いが雑。というか、多分初めてのことなので分からないんだろうなと思いました。休み中なのにあまり連絡したら迷惑に思う…と思われてるかも?
私としては、休んでいても社員であるということは変わらないし、業績評価のような重要なことはきちんと説明して欲しいです。

上司には、どの点がほかの同じ役職の人と比べて、いたらなかったのでしょうか?とメールしてみました。ゴールデンウィーク明けに返事が来ると思います。

育休中のこの心情、一人目と二人目の精神的余裕の違いなのでしょうか。娘の育休の時は何にも思いませんでしたし、なるべく会社とは関わりたくないと思ってました(笑)。それ以前にパソコンを開けてメールを見るなんて余裕ゼロでした。

もしも将来、部下が育休を取ることになったら、このあたり気をつかっていきたいなーと思ったのでした。

子連れで目黒川の桜

5歳娘、0歳息子を育てながらフルタイム共働き主婦(現在育休中)、minaです。

今週のお題「桜」です。

生後1ヶ月の息子を連れてお散歩がてら、今年最初(で最後の)お花見に目黒川に行ってきました。こういう長閑なエントリーは育休中ならではですね〜!
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目黒川の桜。
都内では桜の名所として有名ですね。中心地である中目黒駅周辺は大変な混雑になっているようです。最近できたスターバックスの新業態店舗、リザーブロースタリーなんかは5時間待ちだとか…。川沿いに住んでる人は玄関も開けられないくらいだとか…?!赤ちゃん連れでそんな混雑している場所には行けません。
ベビーカーで赤ちゃん連れで楽しむ目黒川のお花見ルートをご紹介します。中目黒周辺ではなく、目黒川を南下した五反田方面がおすすめです。
①まず、JR山手線目黒駅で下車します。
②西口を出てまっすぐ坂(目黒通り)を下ります。
③5分くらい歩くと目黒川があらわれるので、そのまま目黒川の橋を渡ります。
④橋を渡ったら左折して桜の下を歩きます。
※橋の手前で川沿いに行こうとすると階段を下る必要があるので、ベビーカーの場合は「橋を渡ってから」川沿いに歩くのがポイントです!
⑤3分ほど桜を愛でながら歩くと別の橋(太鼓橋)が出てくるので、その橋を渡ります。橋の上から川にかかる桜が見られます。撮影スポットです。
⑥橋を渡って右折するとそこからお花見スポットです。歩きながら桜を愛でましょう。ところどころ、ベンチがありますので、そこで座って観賞することもできます。今日行った感じではランチタイムのピークでしたが余裕で座れました。買っておいたサンドイッチを食べました。息子はちょうど寝てくれたので優雅なお花見時間を楽しめました!

今回ご紹介したルートです。
https://goo.gl/maps/hykZrGcFJSt

目黒川のすぐ近くにはホテル雅叙園があります。太鼓橋まで戻り右折すると雅叙園に併設のアルコタワーに入ることができます。アルコタワーを通り抜けると雅叙園になります。ホテルならオムツ替えもできますし、広々したカフェもあります。そういう意味でも赤ちゃん連れでお花見するのにちょうど良いスポットです。
ちなみに、一応授乳室もありますが、私は利用したことがないのですが、クチコミによると狭くて鍵がかからないようなので授乳はおすすめできなさそうです…。

川にかかる桜の見応えとしては、正直、中目黒周辺の方が見応えがあります。ただ、赤ちゃん連れだとあの混雑は無理…ということで赤ちゃん連れで目黒川の桜を楽しむ方法をご紹介しました。

ではでは。
最後までお読みくださりありがとうございました。

さっそく家がカオスに

5歳娘と生後1ヶ月の息子を育てながらフルタイム勤務のワーキングマザー(現在産休中)のminaです。
産後のサポートに来てくれていた実母が帰り、入れ替わりで夫が1週間の有給休暇を取ってくれていたのが先週。今週からついに2人目育児の通常運転が開始しました。
いやー、しんどい。
分かってはいたけど、赤ちゃんはすぐ泣くよねえ。まだ夜も3時間ごとに起きる。昼間は抱っこ(今もこれは抱っこ紐にいれて小刻み縦揺れしながら書いています)。5歳娘のスケジュールと赤ちゃんの対応とうまく噛み合わないことも多々あるわけで、、、。
引っ越してから比較的スッキリを保っていた部屋も荒れていく一方。
そしてなんだか風邪気味っぽくなってきたぞー。夜中の授乳中寒かったからかな…。
頑張れ自分ー!

帝王切開での出産@愛育病院(田町)

5歳の娘を育てながらフルタイム勤務(現在第二子産休中)のワーキングマザー、minaです。先日、2人目を出産しました。

産院での処置が素晴らしかったこともあって、幸い、母子ともに順調です!


出産についての記録です。

今回、出産した病院は東京都港区の田町にある愛育病院です(全国に「愛育病院」がいくつかあるようですね)。私が愛育病院を選んだ理由は下記の2点です。

・総合病院であること

・24時間365日麻酔科医が常駐していて分娩対応可能であること(今回は”和痛分娩”で産みたかった)

この2つを満たしていて家から通いやすいところとしては愛育病院しか選択肢がありませんでした。特に、24時間365日麻酔科医が常駐している総合病院は東京でも非常に限られていて、私が調べた限りでは愛育病院の他は国立成育医療研究センター@世田谷、衛生病院@荻窪、山王病院@赤坂ぐらい。

愛育病院は皇室御用達とかセレブ病院とか言われていて高そうだな~と思いつつも、私はとにかく痛みに弱すぎるので麻酔を使った分娩ができることは必須条件でした。

そして、上の子の時のように計画無痛分娩ではなく陣痛が来てから麻酔をする「和痛分娩」がしたいと思ったので、多少出産費用が高くなったとしても24時間麻酔対応可能という条件はどうしても外せませんでした。こういう時に気持ちよくお金を使えるように頑張って働いているのですしね…(という言い訳…)。

 

ですが、今回は逆子のため予定帝王切開での出産となったため、こだわった和痛分娩は結局できませんでした。普通の帝王切開ならわざわざ愛育病院でなくても良かったんじゃないかとも思いましたが、普通に産院として素晴らしかったのでやっぱりこの病院にして良かったと思います。


実は今回の出産で、身体に麻酔をいれるのは人生5回目の経験になります。5回目にして確信しました。私、どうやら「麻酔」ってものが好きなようです。

こんなにもクオリティオブライフを上げてくれて、とても落ち着いた気持ちで出産できたのは麻酔(とその後の鎮痛剤)のおかげでした。

一般的には麻酔に抵抗がある人が多いかもしれません。出産は痛みを乗り越えてこそ!みたいな。私も部活動や仕事については割と根性論もアリなタイプ。ですが、こと肉体的痛みに関しては根性論は一切排除したい。麻酔で痛みをコントロールできるって素晴らしいと実感しました(ちょうど、ウォーキング・デッドで女の人が麻酔無しで帝王切開する羽目になるエピソードを観て、こんなん痛死ぬわ!!と思ったところでした)。


愛育病院帝王切開による出産は「五段階鎮痛攻撃」とでも言うべき素晴らしい痛みコントロールによって、ほぼストレス無しで2人目育児に突入できました。

いろいろ予定帝王切開の手術の流れとか書きたいところではありますが、ブログをまとめて書く時間が無く…下書きボックスに居座り続けたまま既に出産してからだいぶ経っており出産報告しないことには2人目育児についても書きづらいので、取り急ぎの出産報告でした!

最後までお読みくださりありがとうございました。

3.11。人間は極限状態の時に本性が出るという話。

5歳の娘を育てながらフルタイム勤務(現在第二子産休中)のminaです。
今日は東日本大震災があった日ですね(という記事を書きかけたまま日付が回ってしまいました)。
昨年と同様、少しばかりの寄付をしました。金額的には恥ずかしくて書けないレベルですが、こうして年に一度、忘れない、ということも一つの方法かなと思って続けています。

当時、私はいわゆる「ブラック企業」で働いていました。とある”嗜好品”を売ることを事業としている、社員が数十人ほどのベンチャー企業で、創業者とその一家が経営を牛耳る同族会社。私は創業者の娘が社長をしている子会社で社長直属の部下として働いていました。この社長に振り回される毎日を過ごしていました。

入社初日に「アレ?ナンカチガウ…」と思い、入社3日で転職したことを後悔したものの、当時は転職活動に疲れてしまっていたのと同僚は良い人達が多かったこともあって結局ズルズルと2年以上在籍してしまったのですが、そんな面倒くさがり&人生流されがちな私でも退職を強く決意する決定打となった出来事が震災でした。

有事の時にどのような対応をするかは、その組織や人間の本性が出ます。

地震が起きたのが金曜日。東京も帰宅困難者続出の大混乱でその日は終わりました(直属の部下達数名は、社長が帰る気になるまでは帰宅させてもらえず、散々待たされた後の帰宅となりました)。迎えた週末、徐々に明らかになる震災被害と次々とくる余震。そして原発の問題。この社長とその一族。震災が起きて僅か2日後の日曜には海外に飛んでいました。
逃げたんです。
当時、一部の人達の間では日本に住むことが危険だから逃げよう、という考えが出始めていて、社長一族もそのように考えたようです。
月曜日。
土日の間に高飛びした海外からの電話口で開口一番、社長がなんて言ったと思います?
「昨日の売上どうなってるの?!報告がないじゃないの」
ですよ。
私の中で心の波がさーーーっと引いていく音が聞こえましたよ。東京はそれほど被害がなかったとは言え世の中が不安に溢れている中でそれでも自宅待機の指示も出ないから社員は必死に出社して仕事してるわけですよ。(この会社で社長の指示がない中で自主的に出社しないのはあり得ないことだったので。裁量権が無さすぎるため自律した判断ができない状態に追い込まれるのもブラック企業の特徴の一つです。)
嗜好品ですから、未曾有の災害時にどうしても売らなければならないものではありません。普通に自宅待機で良かったはず。
それなのに自分は親族一同早々と地震の影響がない場所に逃亡して(しかもその費用は会社経費扱いにして)、逃亡先から電話で部下を叱責するという。ああ、この人はダメだ、と確信しました。ある意味踏ん切りがつきました。それまでも、散々な暴君ぶりに辟易していたものの心のどこかでは僅かな希望や責任感があったのです。ベンチャー企業として生き残るのに必死だから理不尽なことも言ったりするんだ、期待してくれてるから、社員に成長を促すために厳しいことを言ったりするんだ、私がこの事業を軌道に乗せるんだ、etc…。「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープに振り回されるアン・ハサウェイに自分を重ね合わせたりして(社長は実際にプラダを着てたんです)。
でも違いました。この人は自分(と自分の家族)のことしか考えていない。元々経営センスに大いなる疑問を持っていたところに、人間としても尊敬できない。このままここにいても未来が無い。
そう思ってしまったのです。

あの会社で働いていたのは私の人生の黒歴史の一つですが、今日書いてみて当時の感情がフラッシュバックしました。「まぁ人生経験の一つとしては良かったかな^_^」で済ませられるほど、まだ私の中で完全に消化できてはいないみたいです。我ながらしつこい。
ちなみに色々他にも人生でやらかしてまして黒歴史の一つや二つや三つや…あるのですがそれらはもう風化して思い出の一ページになってます。
ここ数年の私しか知らない人はワーキングマザーとしてバリバリ?やって、イクメンの夫がいて、一姫二太郎に恵まれて、新しい家に住んで、、、ていう順風満帆ぽい感じに見えてると思いますが、だいぶ辛酸舐めてますから。
みんなどうなんでしょうか。はたからみると、深刻な悩みなど一切無さそうに見えてしまいがちですが、人には言わないだけで何かしら辛酸舐めてる経験しているのでしょうか。きっとそういう人が多いと思っています。

極限状態になると人間の本性が出る。だから映画や小説、ドラマでは極限状態を作り出して人間性をドラマチックに描き、私はそれに魅せられる(唐突)。
「24」でのジャックバウアーの決断力や行動力。「LOST」でのジャックシェパードの責任感。「ライフイズビューティフル」でのグイドのユーモア。「ショーシャンクの空に」でのアンディの執念。

ちなみに、とあるキャリア診断モノによると私はジャックバウアータイプらしいです笑。自分探し世代なもので○○診断系が割と好きでして、また今度そのあたりもまとめて記事にしたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

ワーママは手持ちのカードを最大限に活かすことで輝く?

5歳の娘を育てながらフルタイム勤務のワーキングマザー(現在第二子産休中)のminaです。
世の中にワーキングマザーが増えてきたことで、ワーママ同士が共感できないという事態も起こるようになってきています。考えてみたら、男性の場合は単にワーキングファザーであるという共通点だけでは、同じ価値観や同じ働き方だ、とは思わないわけで、ワーママというだけでは共感できないこともある、というのは当たり前のことだと思います。

人と比べず、自分らしく、育児家事仕事を両立するためには、手持ちのカードを改めて棚卸しして、それらを最大限に活かすことが重要だと感じます。

持っているカードは人それぞれ違う。持ってないカードのことを羨んでも仕方がない。欲しいカードを手に入れるべく努力するのも1つの方法だけど、どうしても手に入らないカードもある。

例えば私の場合は、
【手持ちのカード】
・家事育児を平等以上にやってくれる夫
・健康で丈夫な娘
・フレックス、在宅勤務が当たり前の権利として根付いている職場
・ワーママということが評価に悪影響しない職場
・高齢だけど健康で自立して一人暮らしをしている義父
・いざとなったら新幹線で駆けつけてサポートしてくれる実両親
・ルンバ、食洗機、乾燥機などの便利家電
・アラフォーならではの年の功(色々知恵と度胸が身についたような)

【当初は無かったけどどうしても欲しくて手に入れたカード】
・職住接近

【手に入らないカード】
・近居の親の日常的なサポート(父実家は高齢義父で頼れず、母実家は新幹線の距離なので)
・ワンオペ育児をこなせる体力的精神的キャパシティ(元から体力無い上に高齢なので)
・法定を上回る育休制度(3年取れる職場もありますよね・・)
・法定を上回る時短勤務制度(小学校にあがるまで、とか、小学校卒業まで、とか取れる職場もありますよね・・)
・ワーキングマザーには負荷の軽い仕事を与えようという人事的配慮(マミートラックが良いかは別として・・)
・子供と一緒に公園を駆け回れる若いパパ(すぐにゼーハーしちゃう)
・子供と一緒に公園を駆け回れる若いママ(すぐにゼーハーしちゃう)
・子供が一人遊びをしてる間に家事をするという時間の使い方(娘は一人遊びをほとんどしない子なので・・)
・いざとなったら俺が一人で養ってやるぜという夫の経済力(いや、すごく切り詰めれば可能なんですが、切り詰めたくない・・)

こんな感じでしょうか。最強のカードは「丈夫な娘」と「家事育児に協力的な夫」。この2つのカードで私のワーママ生活が成り立っています。職場では御両親に毎日保育園のお迎えをしてもらっている人もいるし、学生時代の友人には子供が小学校卒業まで時短勤務が取れる会社で働いている人もいる。羨ましいなあと思うこともあるけれど、自分のカードもなかなか悪くないぞと思うようにしています。

今は、結果的にバリバリと働くスタイルになってしまいましたが、そうなったのは、手持ちのカードを活かそうと思うとそれが一番有効活用できるスタイルだったからです。もし、たまたま夫が激務の人で、職場が時短勤務を長期間取れるような職場だったとしたら、時短勤務というカードを活用していたと思います。もし若くして産んでいたら、体力気力に物を言わせてハードなワンオペ育児を乗り切っていたかもしれません。タラればの話なので、実際どうなっていたかは分からないですが、私の生き方として、どちらかというと受け身で環境にあわせて適応するというスタイルでやってきましたので(座右の銘は”Let it be”)、ワーキングマザーとしての両立の仕方も環境次第で全然違ったスタイルを採用していただろうなと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました。
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2人目を授かることになった理由を考えてみた

5歳の娘を育てながらフルタイム勤務のワーキングマザー、現在第2子産休中のminaです。

前回の記事に書いた通り、2人目を持つかどうかを神様に託した我が家。なぜこのタイミングで授かることになったのかを考えてみました。

「私の仕事が落ち着いたから」

最大の理由はこれ。妊娠にストレスは大敵、というのは本当にその通りだと思う。2018年は今の会社に勤め始めてから最高に落ち着いて働けた年でした。精神的ストレスがほとんど無かったです。3年前にこのブログを始めたきっかけも、毎日事件みたいなことが起こるしっちゃかめっちゃかな職場のことをどっかに吐き出したいと思って始めたようなもんだったので。。踏ん張り続けると周りが好転していくこともあるんですね。

「家族として生きていく未来がイメージできるようになったから」

もう1つの理由はこれかな。我が家はヘタレ夫婦のため、2人目を持つこと自体に相当な躊躇がありました。子供は1人で私たちにしては上出来、充分頑張った、という気持ちがありました。核家族両実家基本的には頼れない系共働き世帯として娘を含めた3人で東京砂漠で生き馬の目を抜いて数年。最初は暗中模索で先が見えない感いっぱいだったのが、この家族でこの先も色んな難局を乗り切っていくぞ、というような結束とか安定感が出てきたように思います。だからもう1人メンバーが増えても大丈夫、というような。なんだか何が言いたいか分かりにくい文章になってしまいましたが。

「経済的な見通しが(ある程度)ついた」
3つ目の理由はゲンキンな話。夫が高齢なため教育費や老後費用が心配のタネでした。今も不安がゼロではありませんが、2人で働いていけばそれなりに、万が一どちらか働けなくなっても最低限こんな感じではいけそう、という見通しを立てることができました。ここは頑張って共働きで働き続けた甲斐があった点ですね。

もっと早くに産めたら、ということを前回の記事にも書きましたが、我が家的に機が熟すのにこの年月が必要だったということなのだと思っています。

こんなことを書きながら、一年後とか二年後のブログでは2人育児と仕事の両立について泣き言いってる可能性大ですが・・・とりあえず今の気持ちを残しておこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。